自分が物語の世界にいるみたい
思い出深くない本はありません。その時々で訳しているものが思い出深くなっていきますね。
『わたしに会うまでの1600キロ』は、共訳の方も私もほかの仕事と並行して作業をしていたので、担当分を2、3か月で訳しました。
上下巻で700ページくらいある『ウール』でしょうか。私は本格的なSFを訳すのは初めてで、機械にも詳しくないので、調べることが多く時間がかかりました。ヒロインがメカニックなもので、機械いじりばかりしているんですよ。
作業に費やした4か月のうち2か月くらいはほとんど電車にも乗らず、家に篭って仕事をしていました。ものすごく濃い時間でしたね。久しぶりに外出したときは、Suicaの使い方に戸惑いました(笑)
この『ウール』という本は地下社会が舞台のディストピア小説なんです。終末後の毒ガスが舞う世界で、生き残った人間たちは地下144階建てのサイロに篭もって暮らしている、という設定です。なので毎日毎日、地面の下のことばかり考えて暮らしていました。とても不思議な感覚でしたね。久しぶりに電車に乗って、町に出たときは「よかった…文明ってまだあるんだ」とくらくらしました(笑)
どの仕事でも多かれ少なかれそうなりますね。
物語世界に入り込むのが、仕事の醍醐味でもあります。
それがあまりないんです。子供のころはよく物語を作っていたんですけどね。
やっぱり訳すことが好きなのだと思います。
〜そしてここで、私のお腹がすきすぎてグーグーと鳴りだしました(笑)。
雨海さん特製おにぎりをいただいてしまいました。取材中に本当にすいませんでした。
でも、とてもおいしかったです…!〜
生のレスポンスはやっぱり嬉しい
原作者の方が日本語訳の本をチェックすることはありますか?
デビュー作のときに、唯一ありました。
マーロン・ブランド(注:『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』で知られたアメリカの名優)の自伝だったんですが、翻訳が正しいかどうかご本人が一回チェックしたいということで、冒頭の部分をお送りしたそうです。マーロン・ブランドって日本語が読めるの?と思っていましたら、当時のガールフレンド……だったかな……が日本人だったそうで……。
このデビュー作では当初、内藤誠先生という翻訳家の下訳をやることになっていたんです。でも先生が「下訳では名前も出ないし怠けるでしょ。共訳者として名前を出してあげるから頑張りなさい」って言ってくださって。
本当にラッキーなデビューでした。
『ウール』の時は、編集の方がブックフェアで作家さんに出来立ての本をお渡ししました。このシリーズは上下巻で表紙がつながったデザインになっているですが、それを見てとても喜んでくださいました。
今はFacebookなどで繋がれる時代、わからない箇所などは編集者さんとエージェントの許可を頂いた上でメールでお伺いしています。以前はエージェントの方が間に入って聞いてくださるケースが多かったのですが、今は結構自分で聞いちゃいますね。
『愛はいかがわしく』というロサンゼルスの裏社会を描いた小説を翻訳したときのことです。
しばらくして買い物でカードを使い、署名をすると、店員さんに「もしかして『愛はいかがわしく』を翻訳された方ですか?」と尋ねられたんです!雨海という名前が珍しいので、ぴんと来たのでしょう。本を気に入ってくださったことがわかって、うれしかったですねぇ。
今は読書メーターなどを通してレスポンスを感じられるようにもなりましたが、以前は自分の友人以外の方の感想を聞く機会があまりなかったんです。読んでくれている人がいるんだ!と、とても印象に残りました。
学生に向けてメッセージ 勉強はしておけ!
翻訳が天職のような雨海さんですが、この仕事をしていて挫折をしたことはありますか?
本が出たあとからもっといい訳が浮かんで「イーッ!」となることは、よくあります。
では最後に、学生に向けて、学生時代にやっておいてよかったことをお願いします!
せっかく学校に行っているのですし、学費も安いわけではないですから、勉強はしないのはもったいないと思います。
友達とのお付き合いを楽しむことも大事ですね。学生時代に培った人間関係には、社会人になってからも助けられる場面が多いもの。特に女性は仕事のほか結婚や出産などで忙しくなり、しばらく交流が途絶えることもありますが、それを経た後に再会し、交友がより深まることもありますよ。
あとは、時間があるうちに遠い世界を見ておけるといいですね。社会に出てしまうと、なかなかまとまった休みは取れませんから。学生時代の時間は貴重です。