市民が動くことが大切
先ほどお話でもあった世田谷区では、どのような活動をされているんですか?
世田谷区には「公益信託(*2)世田谷まちづくりファンドという制度があります。
これは、住み良い環境づくりにつながる活動に対して活動資金を助成するしくみで、わたしは運営委員として関わっています。
かつては、助成金をもらう側として活動したこともあります。区民が主体的にまちづくりに関わり、助成を受けている団体同士の横のつながりも生まれているすばらしい制度です。
また、さらに区民自身が、区民の寄付で区民の活動を支えていこうという動きがはじまっていて、今年「世田谷コミュニティ財団」という新しい財団が誕生し、その立ち上げや今後の運営にも関っています。
こちらの活動に関心のある方は是非応援いただきたいですね。
公益信託世田谷まちづくりファンド
http://www.setagayatm.or.jp/trust/fund/outline.html
世田谷コミュニティ財団
http://scf.tokyo
(*2)公益信託制度とは、公益的な目的で一定の財産を受託者(信託銀行など)に委託し、受託者はこれを管理・運営しながら公益活動を行っていくという仕組み
世田谷まちづくりファンドの最終活動報告会で、活動のつながりをファシリテーションする
まちづくりは市民が守っていくもの
まちづくりという考え方はいつごろから生まれたん ですか?
まちづくりという言葉の発生はわりと最近だと思います。
1960年代の高度経済成長期の日本は、経済成長を見据えて古い建物を壊して大きな道路がつくられたり、密集して建っていた住宅地を安全なまちにするための区画整理が実施されたり、近代的なビルがどんどん建てられていました。
1つのまちづくりの発生の例としては、そんな中「このままだと古い建物がすべてなくなる」「大切なまちの歴史や資源を残していかなくてはいけない。」と考えて運動した人々がいました。
私の会社の元代表のその一人です。そのおかげで今も昔の街並みを守っているのが埼玉県川越市の「小江戸」と言われる街並みです。
川越は江戸の技術を明治時代に取り入れた街なんです。
当時、蔵造りの建物を作るには高度な技術が必要でした。
かつての江戸(いわゆる東京の中心地)には蔵造りの建物が数多くあったのですが多くが取り壊されてしまい、ご存知のように現在はビルに建ち変わりました。
一方明治26年に川越は大火事に逢い、ほとんどの建物が焼けてしまいました。
しかし蔵造りの建物は残ったんです。
そこで、蔵造りというのは火事にも強く、すごいんじゃないか?と再認識され、蔵造りの建物が次々と増えていき、小江戸と謳われれるまでに発展しました。
その後、伝統的建造物群保存地区という国の制度のもと、街並み自体を守るルールができたり、また、この街並みの中央に道路を広げる都市計画もあったのですが、それもどうにか守り抜き、現在の街並みが残ったというわけです。
今では、江戸以上に江戸の技術が残っています。こういう取り組みの流れが「まちづくり」の一つであると思います。
もしかしたら無くなっていたかも、と思うと怖いですね。
はい。まちづくりは、壊して新しいものを作るだけではなく、昔からあるものを大切に守ることも含まれるんです。
そのためには市民が街を維持しなければなりません。
川越も古くからある建物は行政がメンテナンスしているのではなく、その建物の持ち主がやっているんです。市民が守っていく姿勢こそが大切なんです。