もうひとつ忘れられないシーンがあります。ルーシーとチェンハンの生活を見つけた父親が、ルーシーに暴力を振るおうとしたところです。「この父親の表情、憎めないなぁ。」と、はじめの方は思っていたのですが、ラストでは完全に彼を憎むことになりました。ルーシーは彼に追いかけられ、小さい部屋に逃げ込みます。そして、彼はドアを壊そうとします。まるでキューブリックのシャイニングのように、ドキドキして変な汗をかくシーンです。
この辺はもの凄く早いリズムで描かれています。泣き叫ぶルーシー(無声映画なのに叫び声が聞こえてくるよう)、怒り狂った父親、彼女を助けに行くチェンハン、と、映像の視点がくるくる変わってめまいがしそうです。
部屋の中のルーシーも、逃げ場がなくてくるくる回っています。ルーシーの手には、チェンハンにもらったあの人形が・・。ルーシーは父親が怖くてパニック状態になります。もう観たくない! と思うほど痛々しいです。冒頭で監督は「暴力への警告! 」なんて言っているくせに、本当は綺麗な女の子が虐げられて苦しんでいるのが撮りたいのでは? と疑ってしまいます。それくらいに、この場面の描写は救いがなく、また、それが見事に描かれているのです。
そして、ルーシーが指で笑顔を無理矢理作るシーン。これも私にとって忘れられないシーンです。あんなに自分を痛めつけた世界に向かってもなお、笑顔を作ろうとするルーシー。一見矛盾した行動です。怒りや悲しみの表情を向けるほうが、その場にふさわしいような気もします。だけど、その、笑顔を作る気持ち、なんとなくだけど、わかります。たった一つの仕草に、悲しみや、諦めや、許しや、優しさ、いろいろな感情が混ざりあって存在し、切実に輝いています。その仕草は美しいだけでなく、ほとんど崇高でさえあります。その仕草に至る気持ちを「なんとなくわかる」と思える体験は、自分の内に崇高さを発見する体験であると私は思います。それはとても素晴らしい事です。そしてルーシーの笑顔は、物語の中にありながら、その細かな設定などから独立して、自分の中で確かな感触を残して存在し続けます。

東京に住んでいる。ラクガキしたりぼーっとしたりテレビを見たりしている。音楽が好き。毛布に顔をうずめるのが好き。のんきで楽観的な映画を観るのが好き。なまけがち。詩が好き。中学生に間違えられる。臆病。甘えんぼう。中2病。にこにこしている。間違いだらけの存在。責められるのは嫌い。夢日記を書く。よく金縛りにあう。上半身だけ幽体離脱。UFOを見てみたい・・・。