クローズアップなどの様々な映画技法を生み出し、今では「映画の父」と呼ばれているディビット・W・グリフィス。そんな彼が、美しく柔らかなモノクロ映像で描いた「散り行く花」は、悲しく儚い恋物語です。この映画について監督は「弱いものを傷つける人への警告だ」と言っています。この映画の主人公は、仏教を伝えるためロンドンに渡りながらも挫折し、阿片を吸って暮らす中国人のチェンハン(明らかに西洋人が演じてる! )と、父親に暴力をふるわれ笑顔を忘れた少女。この悲しく健気な少女ルーシーを演じるのは、サイレント時代の悲劇映画に欠かせないといわれているリリアンギッシュ。彼女が指で唇の端を持ち上げ、無理矢理笑顔を作るシーンは、ゴダールの「勝手にしやがれ」に引用されています。
散り行く花
1919年 アメリカ
監督・脚本:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス
映画を見るとき・・・私が求めているのは、現実的な物語でもなければ、自然で無理なく編集された映像でもありません。当たり前なことですが、映画鑑賞という体験には、言語的な体験とは違う喜びがあります。私はその言語的ではない体験を求めて映画を観ます。
この「散り行く花」も、ストーリーとしては「よくある悲劇」です。他愛のない午後1時のメロドラマにも似ています。純粋なふたりの幸せを悪役が壊す、そんなありきたりの構図です。それでも、この映画には豊かさがあります。この映画における人物の表情やアングル、効果的にリズムよく配置された字幕、鑑賞者を惹き込んでいく鮮やかな編集は、ストーリー以上に印象に残る、ある種の感触を残していきます。たとえば絵画において、描くモチーフが平凡なものだったとしても、どう心を込めて描くかによって、人を感動させる絵画になったりします。一風変わったモチーフを描こうとしても、それが人の心に残らない場合もあります。
私の心に残ったシーン。ひとつめは、なんてことのない、ルーシーがチェンハンにもらった人形を大切そうに撫でるシーンです。私はこの本当に短いシーンに、ルーシーが求めていた愛情、与えたがっていた愛情が描かれているように思いました。彼女の仕草はなんとも哀しげで切ないように見えます。その仕草によって私は、彼女の中の柔らかで美しい部分を深く感じました。沢山の人に痛めつけられても、何かを愛そうとする心が、彼女の中にあります。
ちなみに私は、この優しくて弱いふたりが一緒に暮らすシーンが好きです。
(チェンハンが時々、あぶない目でルーシーを見ているにも関わらず・・。)