驚愕と共に、この中年女性に対して芽生えた心のつっかえに、首が悲鳴を上げる程うなづく。
「解る! なんかすごい解るよ!!」機械越しのイヤホーンから聞こえる声は、とっても分厚いフィルターを介して聞いているのと同じくらい、距離が生じてしまっていると感じた。普通の神経の人間だったら尋問を受ける囚人の生々しい肉声なんて聞いてはいられないし、人間ってやつは、初めにどんなに抵抗があっても「慣れ」が生じ、ある程度の事柄は乗り越えられるものだ。尋問だって目の前で行われている訳でもない。イヤホーンはおぞましい悲鳴たちも美しい音楽も同じように流す。それを聴覚だけで聞き取って記録するだけなんだ、といったらそれまでのこと
人間には感情というものがある。それに対し機械は、あらかじめ組み込まれたこと+αの応用ができない。感情もないから、如何なる場合でも「自発的」なことは起こり得ない。しかし、人間は自発的に考えて行動することができる。臨機応変に、その場その場に合った対応を考えることができる。それには人並みの判断力が必要とされるが、その基準の相違が天と地ほどに違う、なんてことは大概ないと思う。それにここでの場合は、判断する・しない、という自発的な感情こそが大事なんだと思う。
話を戻すが、この中年女性、記録はできるが記録している物自体には疑問すら抱いていない。
人間こその「自発すること」を忘れ、規則正しくタイプのみを行うところを見ると、身も心も機械に支配されてしまった、と思って間違いないだろう。そして私はその「支配されてしまった人間」が、今のこのご時勢、大勢居るな、と思った。
まだ記憶に新しい児童ポルノをインターネットに掲載した事件だってそうだ。液晶画面から映し出された画像を見ていた人間は確かに変態かもしれない、由々しき性癖異常者かもしれない。しかしそんなの自己弁護の隠れ蓑だ! そこに人間本来の、自発して沸き起こらなければいけない感情さえあれば、ワイドショーやニュースで連日取り上げられるような事態にはならなかったはずだ。 自殺サイトの管理人が依頼人を殺害した事件だって、「死」という文字から思い起こされる感情が、そこには全く存在しなかったんだ。だからそんな悲劇が起こらなければいけなかったんだ。機械越しの膨大なる情報は、時として必要なものであり、今では無くてはならないものとなったが、機械の進化と共に確実に人間の感受性は衰えていくと思う。
彼女は、機械を使って記録している様にも見えるが、結局は機械と機械の橋渡しにすぎない。
しかもその実、人間が橋渡しをする必要もないのだ。人間だったらうっかりミスもあるだろうが、機械の場合はノーミス。会社の人件費だって削減できる。機械よりも中年女性を雇う方が良い、という見解はここでは無いに等しいのだ。つまり、この中年女性は機械に仕事を分けて頂いているのだ。自発的な感情のないロボットのような人間を、機械が使っている。

1988年8月8日渋谷区生まれ。現在、文化学院創造表現科1年在席。
特技は茶道と水泳、趣味は映画鑑賞と読書。映画館には月3回は足を運ぶ。映画は特別好きなジャンルは無いけど、『泣ける系』の映画は苦手。わざわざ泣きたくない! 大体「泣けますよ」と言われて素直に泣いてやるものか! 出来る事なら笑ってやる。と意気込むが大抵、誰よりも涙を流すことになる。喜怒哀楽のボルテージを全開にして、上映後は感想を話し合うのがなにより好き。